これは私がだいぶ前から思っていることなのですが、昨今のカスハラ叩きの異常さが、とても不気味に見えます。
こんなことを言えば、すぐに「お前みたいな奴がカスハラしてるんだ」と叩かれてしまうのです。
まるで戦時中のような有様です。
さて、この問題についてお話する前に、私自身はどんな属性か。
私は現在事務系の仕事をしており、当然接客を伴うこともあります。いわゆる企業向けに仕事をしているBtoB企業と接することもあれば、一般顧客と話をすることもあります。
私が客であることもあれば、サービサーであることもある、という立場で仕事をしています。
私はお客さんを神様だ、とは思っていません。お互いただの人間だと思っています。対等です。
しかし、対等であるということは、相手を雑に扱って良いという意味にはなり得ません。「相手は自分と同じ価値の人間であり、決して見下したりしてはいけない、リスペクトすべき相手だ」と認識していることを意味します。
逆に、私が私生活でお客さんになっている時も同じです。対等な人間。そして、対等であるからこそ相手をリスペクトするべきだと考えています。
物を買えば「ありがとうございます」と言われます。当然相手は仕事でそう言っているに過ぎないのですが、そうであったとしても、相手の大切な人生の時間を頂いて接客してもらっているのですから、私もまた、「ありがとうございます」と返します。
さて、昨今の日本の状況を見るとどうでしょうか。
カスタマーハラスメント問題、というのが大きく取り上げられることがあります。
多くの人はこれを歓迎しているようであり、社会が進歩したからこそ生まれた価値観だ、という認識をされている方も多いようです。
私はこの辺りに大いに疑問を感じています。
よくカスハラ問題を語る時に「客は神様だと思ってるバカが多い」と言っている人がいます。
しかし、私の周りで実際に「俺は客だぞ、神様だぞ」などと言っている人は一人も見たことがありません。
確かに、まるで自分を神様だと思っているかのような横柄な振る舞いをする客がいるのは事実です。しかし、そんな客でも俺は神様だ、などと言っていることはほぼほぼありません。
そうなってくると、「客は神様だと思っているバカが多い」というのは、そもそも存在しない言説に対する批判であり、自らの立場から出てくる主張を正当化したいがために発した屁理屈であるといえます。すなわち、論理的誤謬、詭弁に当たります。
このような存在しない相手方の主張に対して、自分にとって都合の良い批判を加えることで自分自身の立場を正当化することを「藁人形論法」と呼びます。
これはネットで1日1回以上は目にする、非常にポピュラーな詭弁です。
さて、こんな細かい話はどうでも良いのです。
何が言いたいかというと、落ち着いて考えると客も普通の人間であり、異常者の集まりではないということです。
考えてみれば当然の話で、私たちはゲームに出てくるNPC(定型的な発言しかしないプレイヤーが操作しないキャラクター)ではありません。
NPCではないのだから、時にはサービス提供者であり、時には客であります。
平日の昼間は店員で、休日や夜はお客さんになるのです。
で、あるからこそ、客が一方的に異常者である、なんてことはありえません。
客が異常であるならば、ほぼ同じ確率で店員もまた異常者であるはずです。
それでは、なぜカスタマーハラスメント問題がここまで大きく取り沙汰されるようになっているのでしょうか。
私の考察としては「日本の貧困化」が大きく関係していると考えています。
二十年ほど前であれば、日本の中では「お客様は神様」という言説も、一定の支持を得ていたと思います。
それは恐らく、日本全体が豊かであり、店員や客、延いては日本人全員が、ある程度の精神的余裕を持っていたからでしょう。
ちょっと嫌なことがあっても、これからきっと良い人生が待っている、お給料も上がる、少し前にはバブルがあったんだ、きっとこの先すぐに景気も良くなっていくはず。
そんな期待が、まだ日本人の中にもあったのではないでしょうか。
しかし、時は流れ令和を迎えた現在。
すさまじい速度で進む高齢化、貧困化、物価高。
政府は少子化対策に本腰を入れることもなく、移民を受け入れる政策を展開しつつあります。
都会に行くと、コンビニの店員は外国人ばかりです。お店によっては98%くらい外国人というお店もあります。
外国人比率が上がるということは、今まで受けることができていたジャパンクオリティの接客は受けることができなくなります。
否応なしに、サービスの質は低下するのです。
また、人件費削減のため、自動音声システム、自動応答ボットの導入が進み、お客様センターには人間を置かない企業も多くなりました。
そうなると、客は困ったことがあっても相談先はありません。店員も日本語が通じず、満足な解決はできなくなります。
このように、現代の日本ではサービスの質が著しく下がっています。
このような状況で、追い打ちをかけるように我々を苦しめるのは、上がらない賃金、長時間労働です。
もう嫌だ、なにが楽しくてこんな生活をしているんだ。
そんな気持ちを抱え出勤すると、客からクレームがくるのです。
「お前のところで買った商品が…」
あぁ、またか。またクレームだ。腹が立って仕方がありません。
こんな目障りな客が消えたらいいのに。こんなに何度も文句を言ってくるなんて許せない。これはカスタマーハラスメントだ。
こんな思考になっている人が非常に多いのではないでしょうか。
もっとも、冷静になって考えてみると、客の言い分もわからなくもない、ということが多いでしょう。
「こんな売り方したらクレーム出るだろうな」「こんなもの買う人も気の毒だな」
そんな思いをどこかで抱えながら、仕事だからと割り切って働いてる人も多いでしょう。
実際にそこを突かれたとき、本当に心の底から、自分たちには一切の非がない。おかしいのは客だ、と言い切れるのでしょうか。
さて、今の日本の状況を変えるのは、もう無理だと思います。
それでも、心まで貧しくならないように、今一度自分の状況を整理して、カスタマーハラスメントの本質が何であるかを、考えなおす必要があると思います。
カスハラか否か、を判断するときに、良い指標があります。
店員、サービサー側の感情で決めてしまえば、ほぼ全てをカスハラ認定をすることができてしまいます。
そこで、本当にカスハラなのか客観的に判断したいのなら、
「もしも今、自分が宝くじ1等の当選者になったとしたら、この客のクレームに対して同じ反応をするだろうか」
という基準を用いるのが良いと思います。
本当に相手が迷惑客、カスタマーハラスメントであるならば、こちらの機嫌に左右されず、堂々と、あなたはカスハラをしている、と断言できるはずです。
機嫌が良い時に言われたら「確かにそうだな」「この人も苦しい思いをして可愛そうだな」と思ってしまうのなら、それは相手の問題というより、自分自身の精神的余裕のなさの問題だと思います。
もしも1億円を手にした瞬間に同じことを言われたら、どう思うか、どう答えるか。
これがとても良い指標になると思います。
余談ですが、一昨年、名古屋に泊まった際、ホテル近くのローソンに行くと、外国人男性が万引きをしていました。
私はそれを見て店員に、「この人万引きしてますよ」と伝えたのですが、店員も全員外国人だったので全く会話が成立せず、「アタタメデスカ?アタタメ?」と繰り替えされて終わりました。
何か問題があった際に全く会話が成り立たない、というのは、まさしくサービスの質の低下だと思います。
外国人の接客がダメだ、ということではありません。みんな頑張っています。
しかし、トラブルがあっても対応できない店、困ったことがあっても相談できない店、そういうサービス提供者が増えている状況に不安を感じます。
確かに、クレーム対応が楽になるという一面はあると思います。
しかしそれは、必ずしも良いとは言えず、負の側面と表裏の関係にあるのではないでしょうか。
すなわち、客として受けることができていたサービスの低下。
自分たちにとって都合の悪い事実を排除したその先に、本当により良い社会が待っているのでしょうか。
カスハラを排除していたつもりが、気づいたら自分たちの首を極限まで絞めていた、なんて笑えない未来も有り得そうです。
どうしたら良いのか、悩ましいですね。
(※殴り書きのため、そのうち校正すると思います。)